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体験談

2003年度交換留学生:前田 香弥さん 大阪府 市立工芸高校出身(コネチカット州)

前田 香弥さん

◆私を築くもの◆

「あなた、何か喋り方が変わったね。前よりもずっと落ち着いて、優しい感じやわ。」いつだったかは忘れたが、久しぶりにアメリカから日本の家に電話した時の、母の言葉がこれだった。

2003年7月に私は日本を発ち、一年間を米国東海岸に位置するコネチカット州で過ごした。留学を決意した「英語力の向上」という表向きの理由の裏側には、実は当時感じていた、私を取り巻く閉塞感のようなものから逃れたかったという思いもあった。「日本を出よう。知らない世界に行ってみよう。そうすればきっと何かが変わるはずだ。」この、何とも単純な決意。しかし私の両親は、あっさりと「あなたがやりたいのなら、やってみなさい。」とい言って送り出してくれた。そんな気の抜けたような考えと共に私の留学生活は幕を開けた訳だが、始まってみれば、予想もしなかったような苦難が待っていた。

まずは、言葉の壁という苦難である。言いたいことがうまく伝わらないもどかしさ。些細な間違いから生じる誤解、故に生じる孤独感。とにかく何をするにもこの問題が私について回った。最初の頃は、どうせ言葉が分からないのだからと、よく卑屈な態度になっていた。ゼロから始めて、たったの一年でこれだけ英語が話せるようになったのだから立派なもの、とよく周りに励まされた。それは確かにそうかもしれないが、やはり自分の中では言葉の壁に対しては大きな葛藤があった。そしてこれは結局帰国する直前まで続いた。

次にあげられる苦難は、自国についても他国についても、まるで無知であったことを思い知らされたことである。私がアメリカで通っていた高校は、全校生徒約360人というとても小さな学校で、日本人は私一人、その他のアジア人でさえもほとんどいないという環境だった。となると、周りは好奇心から日本のことを色々と私に訊きにくる。それは私にとっても友達を作る為の絶好のチャンスになるはず。しかし、日本の学校や流行っていることについてなら私も答えられるのだが、日本の歴史や政治的な話題に及ぶと、言葉の壁以上に私の知識が追いつかない。仕方なしに、「知らない」と答えようものなら、彼らは自分の国のことも分からないのか、と呆れる訳である。何とも恥ずかしかった。これには参って、帰国したら絶対に日本について勉強し直そう、と心に決めた。

もう一つの苦難は人間関係であろうか。もともと他人であるホストファミリーと人間関係を築いていく過程で、多くの苦労を経験した。そして日本で当たり前の存在だった家族のありがたさを痛感した。幸い、私の暮らした家には私と同い年の女の子がおり、彼女は、英語が全く分からなかった何とも手間のかかった私を、事ある度に親身になって助けてくれ、いつも私を励まし笑わせてくれた。実は私はホストマザーとの仲がそれほど良くなくて、そのことで何度も悩んだり落ち込んだりしたのだが、それでも私が諦めることなく、何とかあの家でやってこれたのは、ホストシスターのお陰である。

もちろん、お互いの性格や意見の相違から喧嘩になったことも数え切れないくらいあったが、今ではすべてがいい思い出だ。つならない冗談で大笑いしたこと、好きなミュージシャンのことで大討論してしばらく口を利かなかったこと、私の”really”の発音がおかしいと言って徹底的に指導されたこと、クリスマスや誕生日のプレゼントをどうするかで必死に悩んだこと、真面目に世界情勢について語り合ってみたこと・・・本当に泣き笑いを共にしてきた。彼女、Lethaはアメリカでできた最高の姉であり大親友だ。

学校での人間関係については、日本にいた時とそれほど変わらなかったと思う。私の友達に関する持論は量より質だということで、アメリカでも少数だが親しくする友達ができた。最初は言葉の壁のせいで、本当にこの人たちは私のことを受け入れてくれているのかな、という不安を覚えることもあったが、それは時間が経てば薄れていった。私が帰国する直前に彼らが心づくしのお別れパーティーを開いてくれた時には、心から感動した。アメリカでできた友達から学んだことは、彼らは皆しっかりとした考えを持っていることだ。日本の学生の方がもっと必死に勉強して忙しくしているはずなのに、どうしてこの人たちの方がこんなにもしっかりとした考えを持っているのだろう、もっと言えば、こんなに遊んでいて、のんきに見えるのに、どうしてこんなにも将来のビジョンをはっきり持っているのだろう、と彼らを見ていて思ったものだ。物事を深く考察し、それに対する自分の考えや意見を具体的に持たなければ、いくら博識であったとしても意味がないことを彼らから学んだ。口に出して自分の考えを他人に伝えることで、初めて自分の存在価値を認めてもらえるということをアメリカで一年暮らす間に痛感した。

一年間のアメリカでの留学生活を通して多くの困難や苦労を経験し、私の従来持っていた価値観がどんどん変わっていった。日本にいた時には感じなかったことや考えもしなかったことを感じ考える多くの機会に触れたことにより、冒頭の母の言葉に至ったのであろうと思う。自分では様々な困難に立ち向かったことによって自信がついたと思っていたが、それが「落ち着いた」と母には感じ取れたのだろう。そして「優しくなった」と母が表現した部分については、日本にいた頃の私は、嫌なこと苦しいことをいつも避けてきたため、傷ついたり怖い思いをしたりすることがあまりなかったのだが、アメリカで初めてそういう経験をし、ようやく周りのことにも目を向け考えられるようになり、一人では生きられないこと自分は多くの人に支えられているのだということを実感し、その結果思いやりを持てるようになったのだと自分では思っている。

留学中は重度のホームシックにはならなかったものの、日本の家族からの励ましがなければ、私は一年間留学生活を続けられなかったと思う。あんなに素っ気無く私を送り出した父が、ある時、「右も左も言葉も分からない場所で、お前がそんなにも頑張っていることを、とても誇りに思う。」と言ってくれたことがあった。精神的にも少し辛かった当時、泣きそうな思いで聞いたあの言葉の重みをこれからもずっと忘れることはないだろう。

これは今だから言えることだが、一年間の留学だけで劇的な人間的成長を期待しない方がいいと思う。一年間の経験が、自分を見つめ直しこれから自分はどうしていくべきなのかを考えるきっかけになれば、それで十分だと自分では思っている。一年間の留学を終えた今、これは終わりではなく新たな始まり、といった感じだろうか。何はともあれ、この留学経験は私にたくさんの思い出を残してくれた。今は前よりも少しだけ自立心と自信がつき、胸を張って生きている。

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