2004年度 交換留学生:田代 尚大君 西武学園文理高校出身(ワシントン州)

◆アメリカでの留学を終えて◆
自分の中で何が成長したのか、それは最近日本に帰ってきてようやく実感できてきている。留学に出る前、ある人からこんなことを言われた。 「大人になって戻ってこい。」実際そんなことを言われても、大人と自分たちの違いなんかさっぱりわからなかった。年をとるにつれて、外見や考え方ももちろん変わってくるが、やはり成人式を迎えても子供っぽい人もいるし、十分大人に見える人も世の中にたくさんいる。その人の言葉は私の留学に対する意気込みとなり、目標ともなった。
アメリカでそんなことを気にして生活してみると、同じぐらいの年の人たちがすごく大人に見えてしょうがなかった。というのも、彼らの体は一回りも、二回りも日本人より大きく大人びていたかもしれないが、ある彼らと日本人との大きな違いに気づいた。 それは、他人にどのようなことをしてあげられるかだ。
アメリカ人の友達はほとんどの割合で、放課後仕事を持っていた。自分のためではなく、家族や兄弟の為にろくに宿題もせずに朝の2時や3時まで仕事をしている。日本の友達は例え、仕事を持っていてもあくまで自分の趣味や、買い物のためだけであり、けして家族や兄弟の為にははたらかないだろう。それだけアメリカはシリアスな場所であるというのも事実だが。ほかにも、彼らは友達のために車で送って行ったりとても親切なのだ。それでいて、自分のこともしっかりやっている。親の言うことはきちんと聞き、自分の考えをきちんと持っていた。
私が通っていた、A.C.Davis high school は、生徒数2000人の比較的大きな高校だった。初日の登校日の学校の光景はけして忘れないだろう。というのも生徒のほとんどがメキシコからのヒスパニック系アメリカ人だったからだ。校内ではスペイン語が英語以上に飛び交い、英語でさえ聞き取るのに苦労していた自分には、彼らの会話は自分に鳥肌を立たせたのを覚えている。日本の学校で、アメリカは「人種のるつぼ」ということを習い、スペイン語人口はいよいよ英語を上回るなどとも習ったのを覚えていたが、まさか自分が訪れた学校はそんなアメリカを象徴するひとつの学校であるとは思ってもいなかったからだ。
そんな学校生活も日が経つにつれてとても楽しくなり、休日に学校に行かないのが苦になるほどだった。
ベトは、英語のクラスで知り合ったメキシコ人の親友である。彼は5年前にメキシコから不法にアメリカに移民した。そんな話を彼と最初にしたとき、はじめは敬遠しがちだったが、彼を知るにつれてシリアスな生活をもっていることに、同情しはじめた私がいた。彼は12人兄弟の5人目の兄で21歳、高校三年生である。2000年の12月23日に彼らの上5人の兄弟とお父さんが、夜中に車でアメリカの国境をまたいだ。もちろんペーパー(VISA)も持たないで。末っ子だったベトは、アメリカでの新しい生活と、何かあいまいな大きな希望みたいなものをもってアメリカへわたってきた。
メキシコでの生活はとても厳しく、収入はアメリカと比べて、4分の1ほどだったらしい。高校へ通いだしたベトは、英語という壁にぶつかりうまく良い成績が取れないでいた。そんな理由もあってか彼は今年、ようやくめでたく卒業できたのだ。私の知る限り、彼の生活は日本人の僕が想像するのがたやすくないほど、忙しい。学校帰りはりんご工場へ仕事に行き、8時間後学校の宿題を夜明けごろまで必死にやる。
よくみる彼の顔はげっそりしとても21には見えない。しかし、彼はサッカーを心から愛していた。週末になると彼は、私を誘いサッカーをしに近くのグランドへ良く行った。彼はとても自分の生活を楽しんでいるようにみえた、みんなからも見えるだろう。彼の想像を絶する忙しさを知らなくても。そんな彼は私を変えていった。メキシコ人に対するステレオタイプは消えて行き、学校のメキシコ人とはすごく息が合うようになっていった。ベトとはサッカー部で共に良きチームメイトとして時を過ごした。
You see soccer is the only sport that I play, but because of my grades I was not able to participate. This was hard on me so I told my self that this would not happen again. At the same time my mother told me to remember that the reason that we came to the USA was to have a better life so I need it work hard at school. With my mother and teachers help I have made big changes in my life and schoolwork.
これは、ベトがサッカー協会の規定の年を越えてサッカーをするために、サッカー協会から許可を得るための彼の書いた手紙のひと部分だ。この文からもわかるように彼の生活の大変さが身にしみた。
ステレオタイプという言葉を知ったときに全身に何か駆け巡るのがわかった。アメリカでの英語の授業で習ったその言葉は、その頃の私にもっとも身近なものであったからだ。私のステレオタイプによって、私はメキシコ人を敬遠しがちにいた。彼らの生活習慣やすべてを異常なもののような見方をしていた自分をすごく恥ずかしく思った。
ベトの家に遊びに行ったとき、彼の家には独特のメキシコ人の匂いが充満していた。あの独特のタコスの匂いだ。ほかのメキシコ人の友達の家に遊びに行っても同じような匂いがやはりした。ヨーロッパ系のアメリカ人の家にいってもまた、メキシコ人とは違うような匂いがすることに気づいた。匂いというものはそれぞれの文化や生活習慣に関係していると思った。
そんなお互いの文化を知らない状態からステレオタイプは、テレビや新聞のニュースとして、さまざまな真実とは異なった情報として作られていく。そういう情報操作によって作られた僕のステレオタイプは、好ましいものでなかった。そして、世界中の人々もやはり、そのようなステレオタイプを個々に持っているだろう。友達に、日本人のステレオ的な印象を聞いてみると、背が低いや、顔の表情があまり無いや、頭がいい、いつでも刀をもっている。などだった。どのようにしてそのような、情報が作られ耳に入ったのか。私はとても不思議に思った。日本人はどうせ~だから。とか日本人をしらない身で言われてほしくない。そしてアメリカ人だけでなく、世界中の人にも言われたくないし、お互いステレオタイプによって言い合うのもいやだと思った。そして、自分がどのようにそのようなステレオタイプをこの先、将来のなかで変えられるのか考えた。わかってきたのはやはり自分で地域それぞれの文化を知ってそれを多くの人に伝えることだ。アメリカだけでなく、アジアの中でも台湾も中国も人それぞれ文化や生活習慣も異なるだろう。そういう色々な人の文化の背景や生活習慣をこれから学んでいき、たくさんの人に伝え、差別や偏見の無い平和な世界を作るための少しでも力になりたいと思っている。
留学を終えて、自分に点数をつけるとしたら95点を迷わずつけるだろう。けして、自分に甘いわけではない。自分の辛かったことをきちんと知り、何よりも、目標以上のことをしっかりやり遂げられたことがこの得点に結びついている。
さまざまな経験を通して、これからは英語の授業で習ったステレオタイプを変えていける人間になること。
そして、この留学を通して色々なことを学びみてきたが、この交換留学でお世話になったJYDAの春の文化学習講座の授業の中でこんな話しを聞いた。
「目の見えない人達が象をなでた。ある人は、象とは細長くてくねくねまがる。また、ある人は薄っぺらくてひらひらしている。みんなそれぞれ正しいが、ほんとの象は知らない」この話は、私の経験を今後どのように生かすかを、示しているかのように思えた。
いくら自分がアメリカはどんなとこだよ、と自分の経験からそんなことを言っても、それはアメリカという国のほんの一部、ほんの少しの人間を知れただけで、けしてアメリカすべての本当ではないこと。
日本人の私でも日本のすべてを的確に知っているわけでもないが、アメリカと日本を同時に見比べさらに多くのことを知っていきたい。今回の留学を無事に成立させていただいた先生方、またアメリカの家族、日本の家族、JYDAの人達に心から感謝したい。
























