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体験談

2006年度 交換留学生:小川 三四郎君 清真学園高等学校出身 (オクラホマ州)

小川 三四郎君

1年間の留学で学んだこと


シアトルでの三週間の事前研修を、予定通りと言わんばかりに何事もなく無事に終わらせ、ほかの友達が次々と各々の留学先へと発って行くなか、自分だけホストファミリーが決まっていないという気持ちが大きかった。今思うとそれほど遅くはなかったのだろうが、そのときは早くホストファミリーを決めて安心したいという気持ちが大きかったのであろう。正直、よく言われる「不安と期待が入り混じった」気持ちなどはまったくなく、むしろこれから始まる異国の地、アメリカでのホストファミリーとの新しい生活に対して、そして、いざこの状況に立たされた時の自分が果たしてどこまでできるのかを観ることができる、ということに対しての期待でいっぱいだった。

そんな期待をさらに大きくしてくれたのが唐突に届いたホストファミリーのインフォメーションシートだった。畜産で有名なオクラホマ州の小さな町、オワッソ。地図にも載っていないような町だったが、行く予定だった学校は決して小さくはなく、9年生から12年生までで2000人ほどという割と大き目といってもよい学校だった。家族は女の子が1人、男の子が4人の5人兄弟で7人家族。5人”家族”の自分にとっては5人”兄弟”というのは少し多いのかなという気持ちはあったものの、そこまでは至って普通だった。しかし何よりも驚いたのがペットの数だった。犬2匹に猫1匹、ガチョウ2匹にフェレット1匹、実際に見たこともないトカゲや蛇といった爬虫類が1匹ずつのみならず数匹、それに名前も聞いたことのない昆虫ど、想像もつかないような生き物の数だった。しかしその驚きの裏では、『こんなにたくさんのペットがいるのだから、大きい家を清潔にして住んでいなきゃ生活はできないだろう。それに爬虫類がいてもまさか自分は触ることはないだろう。ウン、大丈夫だ。』などと勝手に自分の中の理想にその家族を当てはめ、きっとすばらしい家族なんだろうと期待ばかりが膨らんでいった。

8月12日、オクラホマ州タルサの空港で笑顔とともに出迎えてくれたその家族は、そんな僕の期待を見事にと言わざるを得ないくらいに裏切ってくれた。ごく普通の家の中に、床が見えないほど無造作に広がった衣類におもちゃ。そんななか僕の鼻を突いたのが悪臭を放っている十数個のペット用のケージだった。その中には蛇やトカゲ、大量の糞とともに毎晩をすごしているのであろうフェレットなど、想像を絶する光景が目の前に広がった。ここで一年を過ごすと思うと、目の前が真っ暗になったようだった。

こうして始まった僕のアメリカ留学生活は予想していたものより遥かに厳しいものだった。様々なぶつかった壁のなかで一番大きかったものはやはり言語だった。このころになるとリスニング能力はかなり発達していたので、相手の言っていることを理解することはできたが、まだ発言できる能力はあまりついていなかったので、ちょっとした意思疎通にも手間がかかったし、意見交換のときにも反論できなかったことがすごくストレスになった。日本では簡単に言えるちょっとした一言も英語で言うのがなんとなく面倒で自分に溜めていくことも少なくなかった。本当はそこで自分の殻を破り、成長していくのが正しい道なのだろうが、そのときの僕は変なプライドを持ち、自分から家族に話し掛けるということもあまりしなかったのだろう。

そんな中、遂に事件がおきた。友達もでき、アメリカの生活にも慣れてきてはいたものの、部屋の片づけができないホストには一向に不満があった。しかし言語という壁が僕を一歩踏み出させないでいた。言えないから自分でやる、そんな生活が半年近く続くと、家族の中にもなんとなく「サンシロウがやってくれるし…。」という雰囲気が流れていたのも薄々察してはいた。自分は家政婦でもなんでもないのに…という思いが募る中、部屋をいつものように片付けていた僕を2番目に小さな男の子がつついてきた。手伝ってくれといっても手伝わない。それならどっかに行ってくれと言っても一向に動く気配はない。その行動が、ちょっとしたことに敏感になっていた僕を爆発させた。今思うとなぜあそこまで怒り狂ったのかまったく理解できないが、今までにないくらいの大きさで怒鳴り散らし、その子を蹴散らした。ちょうどそのときホストのお父さんが帰ってきて事情を聞かれ、一応説明するもこちらの言い分はやはりうまく伝わらなかった。そのあとでホストのお父さんとお母さんに言われた厳しい言葉を聞いて、今までアメリカで自分がしてきた事はなんだったのだろうと、悔しくなり、落ち込んだ。自信が取り柄の自分にもその自信がなくなっていた。そんな自分を見て慰めてくれたのもホストのお父さんだった。「We can’t understand you unless you tell us what you’re thinking, so talk to us if you have any trouble.」そんななんでもない言葉が、そのときは心に響いた。それがおそらく僕が自分の殻を破るきっかけとなったのだろう。自分の中に溜めていては決して自分のためにならないし、相手のためにもならない。今こそ前に出るときなんだ。いつも日本では積極的な性格を自分でも売りにしていたのに、自分を見失っていた。なにより日本で、そしてシアトルの研修で、JYDAで学んだはずの、自分の利益のために何かをするのではなくて、ホストの人たちのために、そして回りの人たちのために自分たちが今何をできるかということを考える、ということを思い出させてくれたのがこの事件だった。

それからは自分がよければそれでいいというようなダサい考えは捨て、積極的に人に話し掛けるようになった。そうするうちに英語も上達したし、ホストの皆も僕の気持ちを理解してくれたようで、自然と家事も手伝ってくれるようになった。あっという間に過ぎた一年後、帰国の数週間前にふと周りを見渡してみると、そこには大勢の友達や、ホストの皆が僕を支えてくれている姿があった。なんであんな簡単なことに早く気付けなかったのだろうという悔しい気持ちと、こんなに素晴らしい人たちの元を離れるという寂しい気持ちが心の中の今まで感じたことのないような場所からから込み上げてきた。

この留学で学んだこと。たくさんあるけど、やはり一番大きなことは、この社会、いやこの地球はどこの国でも、人々の力が別々に働いているのではなく、人々が支えあって初めてこの社会が成り立っているということだった。今回、アメリカでの留学で、さまざまな困難を乗り越えたことによって挫折に立ち向かうことができるという自信もできたし、自分の目標に向かって、がむしゃらに努力する力もついたような気がする。もう少しアメリカで違うことを学んでみたいとも思うけれど、いまはとりあえず日本で学業に専念したい。これから、この経験を自分の人生にどのように作用させていくことができるか、自分でもとても楽しみだ。最後に、留学させてくれた両親、学校の先生方、JYDAの方々に感謝の気持ちを示して、文章を締めくくりたい。

平成19年9月13日 小川三四郎
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